14 『笑い』への考察「うつ」人の考察:『笑い』について考える私と妻は、7つ歳が離れています。 ですが、テレビとは恐ろしいもの。 二人とも『お笑い』については、非常に似通った番組を見て育ったようです。 今日、疲れ果てて、ベッドに横になりながらの『お笑い談義』の一部を紹介します。 先ず、二人とも関西圏に育ったということから『吉本新喜劇』抜きには語れません。 私が思うに『吉本新喜劇』には、2つの大きな波があります。 『30年以前』と『ここ3年くらい』です。 この2つの時期は、非常に似通いながら其々の個性を発揮しているように思います。 私が小学生の頃、両親と一緒に見た『吉本新喜劇』 そこには、ドッシリとした飲食店主人役の『原哲夫』が「誰がカバやねん」と繰り返し、若主人役の実直そうな青年『船・場太郎』が喉を詰まらせるようにドモる姿がありました。 余り客の来ない店に『借金の取立て』が来ます。 「かかってきなさい!こう見えても僕は空手3段やで!」 「・・・通信教育やけどな。」 『岡八郎』の登場です。 「まあまあ、ミンナそんなに興奮せんと・・・」 『花木京』が現れます。 この人物が何時も纏まりかけた物語を打っ壊してしまいます。 『エッ、エッ、エッ、エッ、エッ、・・・』 決まって「おばあさん」役の『木村進(後の『三代目博多淡海』)』が下品に笑います。 不思議にも『予定調和』と『破壊』が同居している。 見ているだけでドキドキしました。 一時期、『明石屋さんま』が中心となり、全く面白くない暗黒の時代を迎えます。 それが、『ここ3年くらい』は、かつて以上の賑わいを見せています。 『吉田ヒロ』は五月蝿いだけで全く面白くないため、彼が座長の時は必ず『桑原和男』や『池乃めだか』などの芸達者が脇を締めているようです。 『烏川耕一』がかつての『原哲夫』の様に、主人公として登場します。 その迷惑な隣人役が『内場勝則』、絡んでくるヤクザ、訳の判らない老人役が『辻本茂雄』だったり。 彼らは、かつての『岡八郎』や『花木京』を彷彿させます。 『内場勝則』は吉本新喜劇のかつての花形『未知やすえ』の私生活上の夫であり、「夫婦喧嘩になると、『四文字熟語』を連発してくる」と暴露されていました ある不動産会社での一場面。 『結婚したので』と部屋を借りに訪れたカップルとの対話です。 「仕合せそうな御夫婦です。・・・か?」 「はあ?」 「奥さんは大変キレイです。・・・か?」 「そこには、『か?』はいらへん!」 「貴方方は、部屋を借りに来ました。」 「そこは、『か?』を付けるんや!」 「何、この人!不愉快やわ~!」 激怒して帰ろうとするカップル。 「充分説明して納得してもらいました。」 「何処が納得してんのや!」 慌ててカップルを引き止める上司役『烏川耕一』。 かつては、『舞台を何回も転がること』しか出来なかった『安尾新乃助』の衝撃的な登場です。 「後もうチョッとで勝てたのに。良い処までいってたんですが。」 「何処で勝敗が決まるか判らへんわ!」 『筋肉勝負』の結果です。 「『筋肉尻取り』で勝負や。先ずオレからいくぞ!『上腕二頭筋』・・・ウッ負けた。」 「お前はアホか!」 『なかやまきんに君』の登場です。 鶏冠頭で、スーツからシャツ、ネクタイ、そして靴まで『緑一色』にコーディネートされた『中条健一』、前職の「ホスト時代」を劇中突然暴露されて真剣に慌てふためく『川端泰史』。 面白いメンバーが揃っています。 次に『落語』です。 何と言っても『桂枝雀』です。 ツルッパゲの顔だけで充分面白い人でしたが、その顔を充分に活かし、手振りを入れて、古典から創作まで手広くこなす。 挙句の果てには『落語を英語』で行って各国から絶賛されました。 毎日必ず『河豚』を食べることでも有名でしたが、脂の乗り切った時に自殺してしまいました。 今だに、『怪談話』で有名な『桂米朝』一門が集まり『枝雀追悼会』が催されています。 そして、『古今亭しん朝』です。 真剣な表情で古典をやる『しん朝』には、何物にも変えがたい迫力がありました。 あの毒舌家『立川談志』が「最後の名人を失ってしまった」と真剣に嘆いていたのを思い出します。 父親の名跡、6代目『しん生』を継ぐこともなく、これからという時の早世です。 この二人は己の天才に思うがまま落語を語りました。 天が、自ら、その才能を堪能したがっているとしか思えない早世です。 『三遊亭円歌』 幼少の頃、緊張すると吃音る癖を創作に仕立てた、『歌奴』時代の『山のアナアナ・・』に子供の頃は笑わされました。 「昔は落語家になるってことは大変なことだった。」 「先ず親が許しちゃくれない。」 「親爺に『勘当だ!』とドヤサレ、助けに入ってくれると思ったお袋は『こんなロクデナシは私の子じゃない』とケシカケル有様。」 「驚いたことに本当に奴らは籍を抜いちまいやがんの。」 「そん時は、驚いたね~。本当。だから苗字が違うの。オレと親は。」 「居るの。」 「エッ?だから、居るんだよ~。オレん家に。このジジイとババアが。」 「勝手に籍抜いちまいやがった癖に、二人ともオレん家で平気な顔して暮らしてやがる。」 「それどころか、『嫁』のジジイとババアもいるの。合計4人。」 「早いよ。朝は。」 「午前3時にゃあ、ミンナで起き出して『南無阿弥陀仏』とか何とかお経を上げてる。」 「合唱だね~。ありゃ!」 「そんなに極楽が恋しいなら『トットと行っちまえ』って思ってんだが、中々逝かない」 怖い話ですが、思わず笑ってしまいます。 『鈴々舎馬風』 「オレは落語協会会長の椅子を狙ってんだが、今んところナンバー3。三番目。」 「今の会長は『柳屋小さん』。」 「剣道3段だか4段だか知らねーが、毎日、毎日、木刀を振ってんの。」 「歳が歳なんだから早く逝きゃいいものを。」 「元気そのもので中々死にそうもない。」 「『私が世界でたった独りだけの『春風亭柳昇』です』ってやってんのが2番手。」 「コイツは早く死ぬかな、と思ったが、中々シブトイ。」 「未だ未だ、平気な顔をして早々逝きそうもない。」 「この間に、オレの心臓が悪くなっちゃった。」 「このままだとオレの方が先に逝っちまうって!」 元々大きな眼を突き出すように話します。 今回、念願適って?目出度く『落語協会会長』に就任されました。 就任挨拶では、上記、創作『会長への道』は「洒落になんないから、もうやれない。」との事です。 先代『林家正蔵(後の『林家彦六』)』の一番弟子『春風亭柳昇』の弟子。 先代『正蔵』の孫弟子に当たる『春風亭小朝』。 何を勘違いしたのか『立川談志』に入門し、一門では『真面目過ぎる』と異端視される『立川志の輔』。(NHK『ためしてガッテン』の司会者。) 若手の落語家にも面白い人がいるようです。 最近テレビを見ませんので余り詳しくはありませんが・・・。 腹の立つ襲名について書いて終わりにします。 五月蝿いだけで何も面白くなかった『月の家円鏡』の『橘家円蔵』の襲名には腹が立ちました。 一門で、他に兄弟子がいないということでの襲名だったようですが『円蔵』の名が穢れます。 そして『林家こぶ平』の『林家正蔵』の襲名。 先述した毒舌家『立川談志』をして「最高に面白い素人」と言わしめた『林家三平』。 当時、爆発的な人気がありましたが、私は全く笑えません。 『林家三平』の『古典落語』を聞いたことがありませんし、そういう芸風だから先々代『林家正蔵』の息子でありながら『正蔵』が継げなかったと聞いたことがあります。 ただ、先代『正蔵』は、申し訳ながって『正蔵』の名跡を先々代『林家正蔵』の奥さん(『海老名家』)に返し、自らは『林家彦六』を名乗ります。 その時点で、『正蔵』の名跡は『海老名家』預かりとなります。 『林家三平』の弟子には、米処に生まれ、幾つか米俵を持って来たので入門が許された『林家こん平』など『正蔵』の芸風は全く伝わっていません。 その中でも最も出来が悪かったので『こぶ平』と名付けられたと聞いています。 祖父の血を引くだけで『才能の欠片』さえない『林屋こぶ平』と、先代『正蔵』の孫弟子で『正統な古典落語』を受け継ぐ『春風亭小朝』。 彼の『真打』昇格は、十数人の先輩を追い抜いての異例の抜擢でした。 柔らかな口調で『枕』からスッと『古典』に入っていく様は、才能に満ち溢れています。 そして『春風亭小朝』は『海老名家』の娘と結婚しています。 どちらが『正蔵』の名に相応しいのかは、誰だって判ると思います。 海老名香代子『林屋三平』夫人以外は・・・。 私は、『国家百年の大計』を計るため『エリート層』の世襲を望む者です。 しかしながら、何の『試験』もなく『血を引く長子』というだけの世襲は認めません。 今の『市川團十郎』然りです。 あんなに『下手』な歌舞伎役者は見たことがありません。 『芸』に生きる人々は『芸』そのものが『命』です。 幼少からの鍛錬で『芸』が引き継がれる『能』や『狂言』の世襲は仕方のないことだと思いますし、見事に歴代の『芸』を引き継いでいます。 ただ、江戸時代の大衆演劇に過ぎない『歌舞伎』に関しては、『松竹』が興行権を握っている関係で、金になる『意味の無い襲名披露』が横行しています。 『市川團十郎』、『橘家円蔵』、『林屋こぶ平』を見ているとツイ口にする言葉があります。 『王候将相いずくんぞ種あらんや。』秦末の人、陳勝の言葉です。 ジャンル別一覧
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